Loading...

アフリカとカンフーをつなぐ

本方 暁
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程(5年一貫制)在籍)

 “第二次大戦後、ヒトラーと東條英機はまだ生きていた。彼らは逃げ延びた先のガーナを制圧すると、空手と魔術的な国旗を用いながら現地の人々を新たな人種「ガーナ・アーリア人」として洗脳し、世界を侵略するための拠点を築いていく。圧政の中、心優しき地元の青年アデーは、ヒトラー達に地元のカンフー道場を潰され、愛する恋人を奪われてしまう。復讐を誓うアデーは最強のカンフーを習得するため、過酷な修行に身を投じていくが……”(「アフリカン・カンフー・ナチス」公式HPより)

 ……というストーリーの「アフリカン・カンフー・ナチス」は、日本在住ドイツ人のセバスチャン監督が、ガーナ共和国第2の都市クマシで撮影した2021年の映画である。当時、ニコ生(ニコニコ生放送)か何かで無料配信されていたので友人宅で強引に鑑賞会を実施したところ、ストーリーのめちゃくちゃさにドン引きされてしまった。僕はこの手の作品が好物なのだが、やはりアフリカとカンフーとナチスという3つのテーマが嚙み合わないとは思っており、その噛み合わなさを面白がっていた。

 あれから数年たち、当時は思いもしなかったが、ガーナで、しかもクマシを中心に研究調査をしている。そして、ましてや当時は思いもしなかったが、近頃この3つのテーマが噛み合ってきた。

 ガーナでは珍しいアジア人の僕に、ガーナ人は老いも若きも「おまえファイトできるのか?」と聞いてくる。彼らにとってアジア人といえばカンフーなのである。クマシでインタビューした看板絵師のご老人は地域のカンフークラブで活動していたし、クマシのちょっと寂れた地区にある映画館の廃墟について聞き取りをしていたところ、カンフー映画を上映していたとマリ出身のおじさんが教えてくれた。そしてカンフーとは違うが、僕は実際のところファイトできる。僕は空手経験者である。平安五段とか、形を披露すると子どもたちは狂喜乱舞して真似した。このようにガーナ人とカンフーの距離は結構近い。

 ガーナ人の多くはアジア人という概念を知らないらしい。道端でガーナ人が僕に声を掛けてくるとき、だいたいチャイナか(ガーナにいるアジア人は圧倒的に中国人が多いので)、ヨーロッパ人などと同じ括りでオブロニ(白人という意味)と呼んでくる。だから、日本人もドイツ人もオブロニである。

 少々強引にまとめれば、大都市においてもアフリカ外から来た外国人が少なく、日常生活でオブロニに接する機会はほぼ無いであろうガーナの一般住民にとって、カンフーは多くの人が共有できるかっこいいオブロニの象徴だ。一方ナチスというのは悪いオブロニの象徴である。「アフリカン・カンフー・ナチス」とは、ガーナ人が良いオブロニを以て悪いオブロニを制する話であって、ガーナ人のオブロニへの向き合い方を主題とした作品なのだ。もう1回ちゃんと観ればもう少し緻密でマシな考察ができそうである。

 監督自身の制作のねらいを存じ上げないので、映画の解釈はあくまで僕個人の考えに過ぎないが、今回フィールドワークに出向いたことで、それまで無関係と思われた物事の意外なつながりを発見できた。そして僕の眼前にそのつながりを引き出してくれたのは、アジア人であるという僕自身の属性だったと言ってよい。

 アフリカ社会をより緻密に描くために、ともすると見えないかもしれないつながりをどうやって見つけるか。どんなつながりが見つかるのかも、自分の何がそれを引き出せるのかも、前もっては分からないが、見つけるには現地に立つしかない。現地に行かないと分からないことがあるとみんなが言うけれど、それがどういうことなのか、少しは自分の言葉で説明できるようになったと思う。

 ちなみに昨年、続編「アフリカン・カンフー・ナチス2」が完成したらしい。ぜひガーナで、僕の渡航に合わせて試写会をやってほしい。そのレポートを僕に書かせてくれ。

(2025年3月時点)